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「お祝い」と「嘆き」と「喜び」と

2017年11月11日  投稿者:Simonton Japan


こんにちは。
サイモントン療法認定スーパーバイザーの横山彰三( Shozo Yokoyama )です。
気がつけば今年も二ヶ月を切りました。
後期授業も始まり、
マインドフルに生きることを
つい忘れていたのでかなり焦っています。
 
さて気を取り直して。
今回もコミュニケーションについてのお話です。
 
十月の始めから九日間ほど、
伊豆でNVC(非暴力コミュニケーション)の
IIT(国際集中合宿)に参加していました。
日本での開催は今回で二回目です。
サイモントン療法では、
心理学者のマーシャルローゼンバーグが開発した
このNVCをベースとした
効果的なコミュニケーションを学びます。
 
観察、感情、ニーズ、お願い、という
四つのプロセスからなる
このコミュニケーション方法は、
私たちがつい日頃
やってしまいがちなコミュニケーションである
「命令」や「決めつけ」を避け、
相手との繋がりを作り出し
相互理解を深める手法として
世界はもとより
日本でも急速に広がっています。
私の勤務する大学の医学部でも
今年から教育の一環として取り入れています。
 
さて、九日間のIITでは
毎日夕方に参加者全員が車座になり
シェアの時間が取られます。
 
その一つに、話したい人が
「嘆きとお祝い(mourning & celebration)」
をシェアします。
今日一日、
自分が体験したことや感じたことで、
お祝いしたいことや嘆きたいこと
(非難ではありません)を
手短に話す時間です。
 
三年前のIITに参加した際、
私はこの時間がとても苦痛でした。
なぜなら「お祝い」は
まぁ理解できなくもありませんが、
希望者だけにせよ、
なぜ人前で
わざわざ嘆かなくてはならないのか。
みんなで嫌な気持ちになるだけじゃないのか。
100人もいるのに。
単なるナルちゃんじゃないの、まったく。
さっぱりわけが分からん。
 
実際のところ
人の苦しみや嘆きは
概して似通っていますから、
私自身も聞きながら
昔の出来事を思い出したりして
少し嫌なこともありました
心理学的にいえば、解消されていない
心の抑圧がトリガーされていたわけです。
 
ですが、今回は少し違いました。
NVCを生活の中に取り入れていると、
といっても時折思い出したようにですが、
嘆きとお祝いの奥にあるものは、
実は全く同じだということが
腑に落ちたからかもしれません。
 
このことをローゼンバーグは、
嘆きとお祝いは「感謝」の表裏を
なしていると表現しています。
少し説明しますね。
 
「ニーズ」ということばは
ちょっと日本語に訳しにくい言葉だと思いますが、
自分のいのちの泉から湧き出てくる、
生き生きとして恋い焦がれるような、
渇望するような思いです。
NVCトレーナーのロバートの言葉によれば
”sweet longing”。
 
それは例えば、
思い切り自分を表現したい、
ぐっすり眠りたい、
愛する人とほっこりしたい、
未知の世界を探求したい、
相手にわかって欲しい、
など普遍的な人間の欲求です。
 
とはいえ、
私たちは自分のニーズが
いつも満たされているわけではありません。
むしろ満たされないニーズの方が
多いかも知れません。
自分を理解してもらえず、
つい相手をなじったり
いつまでも恨んだり、
逆に「相手も苦しかったんだろうし」なんて
自分に言い聞かせたり。
私もたまに陥るパターンです。
 
ところが相手を責めたり
自分を責めたりしても、
その心の痛みの本当の原因には
いつまでたってもたどり着きません。
そしていつまでも
心にとげが残ったままです。
 
話を聞くにも
相手には相手の都合がありますし、
ましてその相手をコントロールすることは
不可能です。
 
そこでよくよく
自分の内側を覗いてみると、
気持ちをわかって欲しかった、
この苦しみをわかって欲しかった。
そこには、大切な人とのつながりや
理解し合える幸せを願う心が
しっかりと存在していることに気づきます。
 
残念ながら
今回は自分の大切な思いは
届かなかったけれども、
ただその恋い焦がれる思いとともにそこに在り、
満たされなかったことだけを
ひたすら嘆く。
 
実はこの“嘆きつくし”の効果を、
身をもって感じたのは
昨年のことでした。
 
詳細は省きますが、
どうやらそうすることで
気持ちが後に引かないことに
気づきました。
 
人はきちんと
嘆くべきところを嘆かないでいると、
無理矢理それを頭(=理性)で
理解しようとしてしまいます。
みなさんは如何ですか。
そんな経験ありませんか。
 
そして認知科学的には
残念ながらこれは
「終了していない出来事」
になってしまい、
ことあるごとに蘇るそうです。
 
というわけで、
今回のIITの嘆きとお祝いでは、
参加者の皆さんとともに
心から笑いと涙を
分かち合うことができました。
 
期間中はきれい事ばかりではありませんし、
実際に腹の立つこともありますが、
それさえも、
というよりそのためにこそ、
NVCのネタ(?)になることも
沢山経験しました。
 
皆さんそれぞれが、
生き生きと怒りを表現し
悲しみをぶちまけます。
 
以前はこういう人が
近くにいると
「いかん、自分が何とかせねば!」と
勝手に責任を感じて
ドキドキハラハラして
身体をこわばらせ、
自分を無意識に守っていたようです。
 
そのコアビリーフはきっと
「自分の生き生きとしたものを
 表現すると安全でなくなる」
だったのでしょう。
 
それはそれで
ベストを尽くして
自分を守ってきたわけです。
今となっては愛おしい自分です。
 
人間は、一瞬一瞬、何かを
“練習”し続けていると言われます。
椅子に座っているこの瞬間もこの座り方を、
無意識のこの呼吸の仕方さえも。
それが何十年と積み重なり
今の自分を形成しています。
 
対人関係で緊張が走ったり、
怒ったり、
感情を抑えたりすることも、
小さな頃の何かのきっかけで
自分を守るために
練習してきたことなのかもしれません。
 
ローゼンバーグは、
「人生の目的は
 全ての笑いを笑いきり、
 全ての涙を流しきることだ」
と言っています。
 
涙を流しきる、、、か。
 
IITの途中、
まだまだ泣きたいときに
思い切り泣いたりして
感情を表現することが
難しい自分もいたりすること、
そしてこれまで自分が無意識のうちに
それを“練習”してきたことに気づきました。
家庭で、学校で、仕事場で。
 
「自分を含め
 “男は涙を見せてはいけない、
 強くなければダメだ”
 というこの文化的遺伝を、
 どれだけ多くの日本人男性、
 いや世界中の男達が引き継いで来て、
 そのために恐れ、苦しみ、
 そして集団を争いに駆り立てたんだろう、、、
 なんだか絶望的な気持ちだよ」
 
そう伝えると、
NVCトレーナーの一人である
デイヴィッドは次のように
話してくれました。
 
「実は子どもの頃、
 身体が小さくて弱かった僕は、
 泣きそうになると君と同じように
 そうやって我慢して泣くのをこらえていた。
 でもNVCに出会って、
 自分の中に本当にたくさんの
 いきいきとして
 美しいものがあるんだということに
 気づいたとき、
 喜びであろうと
 怒りであろうと
 悲しみであろうと、
 その恋い焦がれる思いとともに
 涙を流すことは当然だし
 自然なことだとわかったんだ。
 だからいま僕は、
 尊厳と共に泣くこと
 (crying with dignity)を
 自分の人生で練習し直しているんだ」。
 
尊厳と共に泣く。
威厳をもって泣く。
 
人間は一瞬一瞬、
何かを練習し続けている。
そう教えてくれたのも
Davidでした。
 
六十歳を過ぎた、
合気道の師範でもある
今では六尺豊かな大男のデイヴィッドが、
時折セッションの中で
涙をたたえながら自らの体験を語り、
それを周りも私も涙とともに聞く。
思い出すと今でも心震える瞬間です。
 
NVCに限らず
多くの心理療法においても、
自分の感情を
味わい尽くすことを大切にします。
 
それは、
感情が大きな生命エネルギーであり
滞ったエネルギーが
大きく動き出すときに
大きな癒しが
自然に起こるからでもありますが、
実は感情は
自分の大切なニーズに気づかせてくれる
目覚まし時計のようなものだからです。
 
皆さんは今日一日の終わりを振り返る時間、
自分につながる時間を持っていますか?
 
私は根がずぼらなので
なるべく(←この程度です)
思い出した時に、
今日一日の嘆きとお祝いで
自分につながるようにしています。
そしてそういう時に限って
時折、亡くなった義母を思い出し、
ああ生きていてくれたらな、
という深い嘆きと寂しさに
包まれることがあります。
 
十月は長女と次女の誕生日でした。
「そういえば、
 こうやって家族と一緒に
 美味しいものを食べて
 一緒に笑って
 お祝いしてくれたなぁ」
という深い寂しさ。
 
それと同時に、
それほどまでに切なく美しく
かけがえのない大切な思いが
確実にここにまだあるという、
私にとっての大きなお祝い。
 
会えなくなった深い寂しさは、
出会えたことの奇跡でもあったことに
いまさらながら気づきます。
 
ローゼンバーグはさらにこう言っています。
 
「人生における感謝には
 お祝いと嘆きの二つがある。
 そして実は、
 人生は毎日がお祝いの連続なんだ。
 こんなことが満たされた、
 やった~というお祝いと、
 あぁこんなことが出来なかった、
 あ~ぁ残念だなぁ、、という嘆きの奥にある
 恋い焦がれる思い(ニーズ)に
 つながれたお祝いと」。
 
あなたのふかーい命の泉の奥底には、
 
自分にとってかけがえのない、
恋い焦がれるほど切望していて、
でもひょっとするともろくて、
触れるのもおっかなびっくり(?)、
無防備な自分だけが知っていて、
生き生きとして、そして
このうえもなく豊かな、
 
そんな目に見えない美しいものがある。
 
それは、
うれしくて飛び上がりたいときも、
そして
悲しみや絶望の底に沈むときにも
確実にそこにある。
 
それをカールサイモントンは、
「喜び」と呼んだのでしょう。
 
そして“大切なもの”は大人になると
探さないとわからなくなります。
 
だからこそカールは
この大切な「喜び」を
数あるトピックの中から
最初の取り組みに据えたのでしょう。
 
宮崎でも
サイモントン療法を学ぶ手軽な講座を
月に一度のペースで開催しています。
NVCと実践心理学、マインドフルネスも
合わせて学んでいきます。
合気道の動きを取り入れた
自分の中心につながるワークも体験します
(大丈夫です、投げたりしません)。
 
皆さんゆったりと楽しんでいらっしゃいます。
よかったら覗いてみてくださいね。
 
*講座の予定は
http://yokoyama-clinic.net/
をごらんください。
 
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◆執筆者プロフィール◆
横山彰三(よこやましょうぞう)
サイモントン療法認定スーパーバイザー
宮崎大学医学部教授
大学では医療人文学、英語、
医療コミュニケーションなどを担当.
趣味でイスラム文化とペルシア語を教える
好きなこと ひとり旅~でもすぐに人恋しくなる
趣味 合気道
座右の銘 遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや
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